王が城を捨て逃げてしまい
若き光海君が王の代理を務めることになるのは

日本で言う文禄の役=韓国で言う壬辰倭乱
豊臣秀吉の朝鮮への出兵第1段のこと
(2回目の朝鮮襲撃=慶長の役も含め壬辰倭乱
 と言うこともあれば
 慶長の役=丁酉倭乱と別に言う事も

平和な時代が続いていたこともあり
戦争に慣れた日本軍に押され
朝鮮側は漢城(ソウル)から北へと撤退
開城(現在の北朝鮮南)まで向かうも
開城の軍人や文武官は逃げ殆どいない状況。
現在の平壌更に北の義州まで逃げ続け
一時は光海君と6男順和君が捕らえられる危機も

その後 中国明の助けもあり
奪われた 義州、平壌、開城を取り戻す。
その後明と日本との交渉で 日本は釜山まで撤退する
=漢城(ソウル)に王都が復帰する

以上が文禄の役=韓国で言う壬辰倭乱
交渉決裂で再び起こった戦いが
慶長の役=丁酉倭乱
NHK『真田丸』終盤でも朝鮮出兵が
チラリと描かれていましたね





《光海君について》
14代王宣祖の正室には子供ができなかった。
側室恭嬪金の子 長男臨海君は気性が激しく
同母の次男光海君の方が王に向いているとされた。

文禄の役で国が混乱した際に
光海君が臨時的に王を任される
一旦都城を捨て逃げた宣祖と光海君
上で述べた明の協力も加え
豊臣軍と戦った様ですが
王の軍ではなく寄せ集め的な軍であったらしく
この部分に想像を加えて作ったのが
映画『代立軍』






《補足情報》
光海君は側室の子しかも次男
(長男第一の時代)
先代正室の亡後、新正室の子永昌大君ができる。
更に宣祖が次の王を決めずに亡くなってしまう。

年齢的にも実績的にも光海君が王位を継ぐものの
正室の子永昌大君の存在もあり
光海君の王としての基盤は不安定。
永昌大君とその母仁穆王后や親族は
幽閉あるいは処刑や流罪等の扱いを受ける。
永昌大君も流罪幽閉の末9才の若さで殺される。

そういうこともあって
光海君は死後王の位を剥奪されているように
暴君の印象が強い。
だが豊臣軍との戦いの後の復興や
日本との国交再開等は光海君の手腕でもあり
暴君と言われるようになった出来事は
本人によるものではなく
派閥争いの人たちによるものではとの説もあり

近年のドラマや映画では
「なぜ暴君と呼ばれるようになってしまったのか」
を表現する流れになってきている

もしかしたらこの辺りもチラリと出てくるのかも